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第3回投稿 『山口萩往還140キロ走は「楽園」か「失楽園」か』 森山一郎

                                                      文責:森山一郎(もりやま耳鼻咽喉科)

ワイン好きな凛子は、この世で最後に飲むものを真紅のワインにして、人生を締めくくるつもりらしい。
赤のシャトー・マルゴーで、丸く大きなワイングラスに、血のような朱をたたえて香りとともに揺れている。
「ねえ、やっぱりこれがいいでしょう」
二人が最後に飲むワインは、真紅で、思いきり高価なのがいいといって、凛子がきめたのである。
「凛子……」「あなた……」
短いが霧笛のように尾を引きながら、それが二人がこの世に残した、最後の叫びであり、絶唱であった。
                                              失楽園:渡辺淳一
It was a Chateau Margaux.
“Rinko…”,“Darling…”
Their voices trailing like ships’ brief signals in the mist, they each uttered their final cry, their final song, in this life.
                                                    A lost paradise: JUN’ICHI WATANABE

ゴールに待っている人がいる、あるいは鹿児島に帰ったらおいしいワインが飲める、などレース後の楽しみがあると、期せずして力を出し切れるものらしい。
昨年の12月24日、練習中に左足ふくらはぎにズキンと激痛が走った。やってしまった肉離れである。今年の1月14日の菜の花マラソンと2月4日の別府大分毎日マラソンはやむなく欠場した。そして、少し回復したのを待って、メディカルドクターとして参加することになっていた3月4日の鹿児島マラソンには出場した。でも本調子には程遠く、マラソン途中で右膝の痛みも加わり、3時間45分で何とか完走できた程度であった。それから2ヶ月がたっても、右膝と左ふくらはぎの痛みはなかなか消えない。平時の平均月間走行距離は約300キロだが、3月の走行距離は190キロ、4月175.5キロと満足な練習はできず、ただゆっくり走ることだけの調整を続け、5月3日の萩往還に備えた。

平成30年5月3日、今年もこの日この地にやってきた。といっても、3年間のブランクがあり4年ぶりの山口萩往還140キロである。瑠璃光寺のスタート地点に立てて久しぶりの胸の高まりを感じた。これまで、この大会は250キロの部に2回、140キロの部に4回参加している。特に140キロの部はエントリーしている選手の半分以上が初参加なので、小生は経験的にも年齢的にもベテランの部類に入る。
 午後6時にスタートし、いつもの矢原河川敷を往復後、南下し鯖山峠のたそがれ庵で軽食をとり、防府市の英雲荘(スタートから29.3キロ地点)の第1チェックポイントに午後9時35分到着。ここで折り返し再び山口市に向かう。日付変わって5月4日午前0時8分に第2チェックポイントの山口福祉センター(スタートから49.6キロ地点)にやっと到着し、おにぎりとみそ汁を頂いた。ここまで主に市街地の歩道を走っていたが、足もとが悪かったり、車や信号機に気を使ったりと、意外と体力を消耗しており、疲労のたまった足はもうパンパンである。これからまだ90キロもあり、右足の膝もだいぶ重くなってきた。この上、左足ふくらはぎの痛みが再発したら、もう終わりだ。これから萩へ向かう萩往還道は、真っ暗闇の全くの山道で、途中で棄権しても誰も助けに来てくれない。人に迷惑をかけないことをうたった自己責任で全うする大会なので、本部も早めのリタイアを勧告している。真剣に棄権を考えたが、唯一の救いは、娘が東京から応援に駆け付けるくれる予定になっていることである。ゴールした後、湯田温泉に一緒に宿泊するのでレンタカーを借りる手はずになっている。そうだ、もし足の痛みが再発して走れなくなったら、最悪でも徒歩で萩市街地まで行けば、娘が車で迎えに来てくれる。そう思ったら、勇気が出て山口福祉センターを飛び出していた。
 萩往還の入り口の天花畑から板堂峠(萩往還最高所:標高545m)まで一気に駆け登る。もちろん隘路の登りなので、ゼーゼー言いながらの早歩きである。真っ暗闇の山道だが、これまでの経験から道を間違える懸念もなく、近くを走る仲間に進行方向を指示し、先導する余裕さえでてきた。佐々並のエイドでホットコーヒーとお菓子を頂き、さらに千持峠(標高344m)、釿ノ切峠(標高405m)などを越え、やっと平坦地の国道262号に出てきた。ここでスタートから81キロ地点となる。不思議なことに、萩往還の山道を走っているときは、足の痛みは全く感じなかった。スピードを出すとこではなかったが、それでも平坦なところや軽い傾斜の下りは、それなりの速さで走るのだが、地面が土道だったせいもあるし、森林浴で足が癒されたせいもあったのだろう。これなら娘に車での迎えの要請をしなくて済みそうだ。
 第3チェックポイントの浜崎緑地公園を過ぎ、第4チェックポイントの虎ヶ崎つばきの館(スタートから96キロ地点:午前7時4分到着)まで、平坦地はキロ5分30秒程で快走した。夜っぴて走っていて一番待ち望まれるのは、気持ちの良い昧爽(まいそう)の時である。十三夜の月が西に沈み、東の空が白んでくると何だか元気が漲ってくるようだ。つばきの館でのおいしいカレーが待っているせいかもしれない。普段、大会で振舞われるカレーはあまりおいしくないのが定番だが、ここのカレーは甘ったるくなくピリリとした本格カレーで、そういったカレーを頂いた満足感でいっそう元気が出るのである。残りはまだ44キロあるが、空も明るくなってきたし、お腹も満たされたし、足も何とか持ちそうだ。少しばかり高揚した感で、つばきの館を出だ。第5チェックポイントの東光寺前金照苑と最後の第6チェックポイントの陶芸の村公園を通過し、ゴールの地点である山口市へ向かった。
 例年だと帰りの萩往還での楽しみの一つに、佐々並エイドでの名物豆腐があったのだが、今年は豆腐屋が廃業しており、残念ながら豆腐のサービスはなかった。その代り、民家のおばさんの手作りの餡入りよもぎ餅は今年も提供された。ゴールまであと10キロというところでの餅は、文字通り最後まで走り切る体力を持たせてくれることだろう。ところで、平成元年に始まった本大会「山口100萩往還マラニック大会」は、今年の第30回大会を以って終了することが決まっている。このような大会でもなければ萩往還に二度と来ることはないだろう。虎ヶ崎のカレー、佐々並の豆腐、よもぎ餅などなど、名物料理が懐かしい。そして、自然治癒を促す萩往還の森林浴、大会関係者のおもてなし、勇壮な瑠璃光寺など、自然と人間との融合された最後のマラニックを思い出し懐かしみながら、ゴールまで残り10キロを恬淡として踏み進んでいった。
 さあ、難所の萩往還道を乗り切り、出口の天花畑(136キロ地点)から県道62号にでた。娘に携帯で、「あと少しでゴールだよ」と連絡をいれた。最後の花道を応援の人々とハイタッチしながら駆け抜けゴールを切った。ゴールは午後2時34分、ネットタイムで20時間24分58秒であった。今回も目標の20時間は切れなかったが、それでもこれまでの最高タイムであった。参加者436人中完踏したのは249人で完踏率57.1%であった。ゼッケン番号は年齢の高い方から付けられており、ゼッケン1番は75歳の男性であった。ちなみに小生のゼッケンは34番で、ゴールした順位は30番目であった。先にゴールしていた鹿児島から来た知人と娘に迎えられた。スタート前は決して満足のいく体調でなかったことを考えると、無事に完踏できたことに感謝し、幸せで感極まった。

このあと、ゴールした何人かの知人としばらく会話してから、娘の運転で宿泊予定地の湯田温泉へと向かった。湯船にゆっくりと揺蕩(たゆた)いながら、心身の疲れを癒し、自分にとって萩往還とは何だったのか問うてみた。今年で最終回なのでぜひ参加したかった。でも、足の痛みが消えず、ベストの状態ではなく、参加はいかがなものだろうか。逡巡していたが、やはり出場したい気持ちは、おさえられず参加に踏み切った。かくして、選手生命を賭して出場した萩往還140キロ走は、結果的には吉と出た。夜道を一人で走る恐怖心の克服、足の痛みを和らげた森林から受ける不思議なパワーなど、萩往還は自分にとって楽園だったのかもしれない。

あとがき
 鹿児島に帰ってから1週間が過ぎ、ワイン仲間10人とプレミアムワイン会を行った。各自お金を出し合って、ボルドーの5大シャトーのうち、シャトー・ムートン・ロートシルトとシャトー・マルゴーの2本を嗜む会である。女性陣にはマルゴーが、男性陣にはムートンが好まれたようである。渡辺淳一の失楽園で一躍有名になったマルゴーである。久木祥一郎と松原凛子が最後に飲んだワインを選んだのは凛子の方であった。愉悦にふけりながら朽ちていく男女二人の物語りは、1995年から日本経済新聞に掲載され大反響を巻き起こした。苦しいマラソンやウルトラを何回もやると寿命が縮まるとよく揶揄されるが、それは本当かもしれない。リンゴを食べて楽園を追い出されたアダムとイブの末裔は、いま走りに夢中になり人生を約(つづ)めようとしている。しかしながら、走り中毒でたとえ寿命は短くなっても、健康上の問題で行動を制限されることなく日常生活を送れる期間、いわゆる健康寿命だけは長くなるのは受けあいである。その結果、介護を要したり寝たきりになったりする期間がほとんどなくなるのは理想的なことではないだろうか。

2018/8/5